アーツビジョン

櫻庭 有紗サクラバ アリサ

生年月日:9月18日 出身地 :青森県

主な出演作品

【アニメ】
旗揚!けものみち(カーミラ)
sin 七つの大罪(サタン)
女神のカフェテラス(流凛)
神は遊戯に飢えている。(アスタ)
魔入りました!入間くん(パイモン)

Q 日ナレを選んだ理由を教えてください。

日ナレはレッスンが週1回で大学とのダブルスクールが可能だったからです。上京して1年は、まず、東京での生活リズムを作ることが大事だと思ったので、大学に通いつつ、養成所の見学をしたり、体験レッスンを受けたりして、その中で日ナレがいいと思い、通い始めました。

Q 入所した時の日ナレの印象はいかがでしたか。

入所面接の際、基礎科から入所するか本科から入所するか希望を出せたので、本科からの欄に丸をして提出したんです。中学で演劇を、高校で朗読をやっていたので、変な自信があって、やったれ精神で(笑)。結果、晴れて本科から入所できたのですが、実際は大変でした(笑)。クラスメイトはみんな、基礎科を経て本科に上がってきているので、日ナレの何たるか、というか…そういうのを心得ていて、次週のレッスンまでに何をしておけばいいか考えて準備する生活リズムができているのに、私だけ右も左もわからない(苦笑)。しかも、私はせっかくだからと、ボーカルやダンスも学べる週3回クラスに入ったので、とにかくやることがいっぱいで(苦笑)。

Q 当時の生活サイクルはどのようでしたか。

平日昼間は大学に通い、月曜の夜はボーカル、水曜の夜はダンス、金曜の夜は演技のレッスンを受けていました。レッスンで講師にいただいたアドバイスを家で自分なりに解釈して、次のレッスンまでにできるようにしておかなければならないし、演技はセリフを、ボーカルは歌を、ダンスは振り付けを覚えなければいけないし、いろいろ追われて大変でした。でも、その生活サイクルに慣れてからは、忙しくもすごく充実した毎日でした。大学は大学の仲間がいて、日ナレには日ナレの仲間がいて、その状況もとても楽しかったです。

Q 仕事をするようになって、日ナレで学んだことが活きていると実感できることはありますか?

一番は、人の目ですね。日ナレは自分自身が表現したものを、講師の方やクラスメイトに見てもらい、評価してもらうレッスンであったと感じます。自分はこうやったつもりなのに、相手にはそのように届いていなかったとか、自分一人で練習しているだけではわからない、客観的な意見をもらう場で、それを元に自分で修正していくんです。その作業はプロになってからも同じです。ディレクターさんにOKとか、もっとこうしてほしいと評価されて、修正が必要な場合は自分で修正する。さらにその後、完成した作品をお客さんが観てどう受け取るか。自分の思いはきちんと伝わっているのか、その評価も自分の中に取り込んで、次に生かす。トライして、反応をもらって、自分の中にインプットして、修正する。日ナレで学んだこの一連の流れが、声優としての成長にはとても大切なことだと今も実感しています。

Q 最後に声優をめざしている読者へメッセージをお願いします。

日ナレの講師の方に、声優の基本は、自分の人間性だと教えていただきました。日々どうやって生きているかが、そのまま芝居や読みに反映されると。本当にその通りだと思うので、いっぱい自分の中に知識や経験を積みつつ、自分自身を知ることが、声優になるためには何より大事なことだと思います。声優ってすごくステキなお仕事なので、やりたいなと思っているなら、全力で頑張ってめざしてください!

2020.02.18 声優マガジンより転載

声優マガジン

声優マガジンでは全文を掲載!

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アイムエンタープライズ

早見 沙織ハヤミ サオリ

主な出演作品

【アニメ】
SPY×FAMILY(ヨル・フォージャー)
鬼滅の刃(胡蝶しのぶ)
鬼人幻燈抄(白雪)
SAKAMOTO DAYS(大佛)
魔法つかいプリキュア!(花海ことは/キュアフェリーチェ)

Q 日ナレにはいつ、どのような経緯で入所したのですか?

小学6年生の3月に、雑誌に載っていた日ナレの広告を見たことがきっかけでした。声優になるための学校があって、中学生でも通えるジュニア声優クラスがあることを知って、通ってみたい!って思ったんですけれども、私はすごく引っ込み思案な子どもだったので、親に言い出す勇気が持てなくて。でも、どうしても通いたい思いが消せなくて、ある日リビングの机の上に日ナレの広告が載っているページを開いて置いておいたんです。親に気づいてほしいというさりげないアピールですね(笑)。そうしたら、私が声優に興味を持っていることを知っていた母が「行きたいの?」と聞いてくれて、思いを伝えたところ、認めてくれました。ただ、「申し込みの電話は自分でしてね」と言われて、すごい緊張して手が震える中、自分で事務局に電話しました。母は私が表に出たがるタイプではないことをわかっていたので、本気でやりたいのなら、その一歩は自分で踏み出しなさいと背中を押してくれたのだと思います。