アーツビジョン

野口 瑠璃子ノグチ ルリコ

生年月日:7月6日 出身地 :福岡県

主な出演作品

【アニメ】
劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク(星乃一歌)
BEYBLADE X(七色マルチ)
痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。(サリー)
Deep Insanity THE LOST CHILD(小鳩玲香)
SHOW BY ROCK!! STARS!!(アイレーン)

Q 日ナレを選んだのはなぜですか?

高校生でも通えること、金額的に学生にとってリーズナブルであること、さらに自分の通っている高校から通いやすい場所にあったことが決め手でした。

Q 入所した頃の生活サイクルを教えてください

毎週土曜日、高校の授業が終わった後、日ナレに通っていました。大学受験もするつもりでしたので、両立はけっこう大変で、今振り返ると、あんまり覚えていないくらい毎日頑張って目まぐるしい日々を送っていたなって思います(笑)。

Q 入所した頃の日ナレの印象を教えてください

とにかく日ナレに通うことが楽しくて仕方ありませんでした。
演技を学ぶのは初めてでしたので、自分にできるのかとか、自分は声優に向いているのかとか、一つひとつ確かめながらの日々で、なかなかうまくできないという苦しみもありましたけど、基礎科ではとにかく演技をすることの楽しさを教えてもらった1年だったと思います。
クラスの雰囲気もとても良くて、クラスメイトからもたくさんの刺激をもらいました。クラスメイトには私のような学生から、一回りくらい年上で働いている方までいろいろな年代の方がいて、そういう環境の中で同じ目標に向かって切磋琢磨できることは私にとって魅力的でした。
皆の頑張りを間近に見ることで、自分も努力しなきゃいけないなと思えましたし、本当に刺激的で楽しい日々だったと思います。

Q 日ナレのレッスンが仕事の現場で活きていると感じることはありますか?

ひとつの台本をいろんなパターンで演じるという授業を受けた経験は本当に今も役に立っています。実際の仕事現場では、自分がこれがいいと思って演じてみても、監督や演出サイドから「こうしてください」「ああしてください」と違う表現を求める指示がいろいろ出され、臨機応変にそれに対応できなければなりません。
日ナレのレッスンでひとつの台本からいろいろなパターンを演じられるよう導いてくださり、自分の引き出しが増えたことは今に活きていると思います。

Q 最後に声優をめざしている方へメッセージをお願いします。

今、日ナレでの時間を振り返った時、良かったなと思うことのひとつに気の合う仲間と出会えたことがあります。皆でひとつの芝居を作り上げる時間はすごく楽しかったし、青春だったなって思います。その仲間たちとは一緒に夢に向かって切磋琢磨した分、絆が強く、それぞれが違う事務所に所属して夢を叶えている今も、芝居について相談することもありますし、皆が頑張っている姿を見て、自分も今ある仕事を大切に、皆に恥じないように頑張らなければと思えます。
そういう人たちに出会えた日ナレでの経験はかけがえのない宝物。日ナレで勉強している最中は、私は声優に向いているのかなと苦しむことも多かったですが、振り返ると苦しんでいた時間は無駄ではなかったし、あの時期があったから今があると思えます。だから皆さんも、自分の声や表現を信じて、まわりのアドバイスにも耳を傾けて、仲間たちと一緒にとにかくやってみてほしいと思います。
そうすれば、必ず自分の未来のための何かが見つかるはずです。

2025.08.13 声優マガジンより転載

声優マガジン

声優マガジンでは全文を掲載!

その他の卒業生の声

アイムエンタープライズ

早見 沙織ハヤミ サオリ

主な出演作品

【アニメ】
SPY×FAMILY(ヨル・フォージャー)
鬼滅の刃(胡蝶しのぶ)
鬼人幻燈抄(白雪)
SAKAMOTO DAYS(大佛)
魔法つかいプリキュア!(花海ことは/キュアフェリーチェ)

Q 日ナレにはいつ、どのような経緯で入所したのですか?

小学6年生の3月に、雑誌に載っていた日ナレの広告を見たことがきっかけでした。声優になるための学校があって、中学生でも通えるジュニア声優クラスがあることを知って、通ってみたい!って思ったんですけれども、私はすごく引っ込み思案な子どもだったので、親に言い出す勇気が持てなくて。でも、どうしても通いたい思いが消せなくて、ある日リビングの机の上に日ナレの広告が載っているページを開いて置いておいたんです。親に気づいてほしいというさりげないアピールですね(笑)。そうしたら、私が声優に興味を持っていることを知っていた母が「行きたいの?」と聞いてくれて、思いを伝えたところ、認めてくれました。ただ、「申し込みの電話は自分でしてね」と言われて、すごい緊張して手が震える中、自分で事務局に電話しました。母は私が表に出たがるタイプではないことをわかっていたので、本気でやりたいのなら、その一歩は自分で踏み出しなさいと背中を押してくれたのだと思います。